作中屈指の迷いやすいエリアとなる。
位置関係として、世界地図を理解する必要がある。
西にあるのがマイアとバイゼル、東にあるのがパロ、中央にあるのがジャドだ。
第2章の目的地となるコロボックルの村は、ジャドの南に広がるラビの森の外れに位置している。
これは覚えておくべきだ。
バイゼルを出て、パロに着く。
占領されており、やることは少ない。
リース達の会話を聞いて、天かける道に行く。
このネーミングセンスに驚くが、元ネタがあるのだろうか?
岩場を中心とした地形で、視認性は悪く、さらに足場がゴツゴツしていて進みづらい。
時おり、橋がかかっていて、景色が楽しめる。
敵はニードルバードにチビデビルで、あまり強くない。
アンジェラがいればダイヤミサイルが強いが、いなくても殴れば倒せる。
途中から東進し、眠りの花畑に着き、そのまま秘密のアジトに行く。
会話イベントがあり、大砲でバイゼルに飛ぶことになる。
宿屋で夜まで休み、ブラックマーケットで、おばあさんからちびっこハンマーを貰う。
これは任意の味方を、チビっこにしたり、戻したりできる。
これを使い、コロボックルに化けることになる。
次の目的地はコロボックルの村があるラビの森だ。
ジャドに行くため、バイゼルでは行き先を選んで船に乗れる。
ジャドに着く。
防具が更新されているが、ブラックマーケットや船賃でルクを消費しており、買えなかった。
ラビの森を進む。
ラビリオンが出てくるが、それほど強くはない。
アストリアの少し前から、西進するとコロボックルの村へのマップに着く。
ここでちびっこハンマーを使って変身し、村に入る。
最初の人物こそ目的の賢者なのだが、村を歩いて探す羽目になる。
その後、ドン・ペリとの会話があって、目的は達せられる。
後はパロに帰るだけだ。
ひとまずジャドに戻って終了とした。
ここまでのプレイは約30分。
第2章の序盤はお使いからスタートする。
これでも長いと思うが、きちんとルートを知っていて進めばこの位で終わり、続く構成はひたすら戦闘が待っているので、気にはならない。
ただ、コロボックルになった際は小さいので目が疲れる。
また、ラビもそうだが、最強の敵がブラックラビであることもあり、どうもこのゲームでは、小さいものの方が強いようだ。
この構成は、どうも指輪物語に近そうだ。
同作をゲーム化したものとして、ドラクエがある。
あちらはコマンドを主体としたターン制ゲームになった。
一方、聖剣はアクションを中心にしたゲームである。
では、どちらの方がより指輪物語に近いだろうか?
ドラクエは原作として、ドラゴンボールを持っている。
そのため、指輪物語の要素は丸められていて、基礎の部分のみに集約されている。
個々のデザイン性や物語には、ドラゴンボールの方が強く引き継がれている。
そのため、ドラクエ≒指輪物語かと言うと、少し違っている。
聖剣は一応、原作にファイナルファンタジーを持ち、FFはスター・ウォーズに原型を見ることが可能だ。
だから、聖剣はスター・ウォーズと指輪物語の要素を持っていると言える。
ただ、何らかの理由によって、聖剣はFFの要素を非常に限定的なものにしていて、そのため、スター・ウォーズの要素は減じられている。
空中戦は殆んどなく、謎のビーム兵器は少なめで、直感による閃きもあまりない。
どちらかと言えば、指輪物語の方が強い。
聖剣伝説≒指輪物語だろうか。
ゲームとして見ると、指輪物語の中から、最もアクティブな部分を採用したと言える。
静的な部分としては、それは主にテキストに移行され、物語を構成している。
イメージとして、アラゴルンやガンダルフ、エオウィンなどのキャラクターになって、指輪物語の世界を旅するような構成だ。
指輪物語が、その複雑性から、映画になることをためらい、ゲームになることを拒んでいる間に、きちんと映画的ゲームとして、聖剣伝説が作られていた。
私は海外のゲームを全くと言っていいくらいに知らない。
ただ、おそらく海外のボードゲーム・カードゲーム・コンピュータゲームの多くが、同じように、指輪物語を模倣して生まれていっただろうとは想像する。
よく日本のゲームが海外でヒットする要素を持っていると聞く。
それは間違っていないと思う一方で、海外の文学・映画・ゲームを模倣して作られた日本のゲームについて、それが海外でヒットするとしたなら、それは海外の人たちが自らの歴史を知らなくなっているからだと思う。
彼らが自らの歩んだ道を知り、その価値を本当の意味で理解しているのなら、その模倣品である日本のゲームを魅力的に感じる理由は無いはずだ。
今はまだ、過去の遺産を無視してきた時代の名残が強いため、日本のゲームは海外でも勝負できるだろう。
ただ、やがて過去の価値が見直され、真の部分が再定義されるにつれて、メッキは剝がされ、海外の人たちは日本のゲームを遊ばなくなる。
その時、日本のゲームを遊んでいる人というのは、やはり日本人ではないだろうか?
どこまでも海外に憧れ、その模倣と吸収を生業としてきたこの国にとって、聖剣伝説を始めとする国産ゲームの価値は、自らのアイデンティティーとほぼ等しいと言える。
それは世界に対しては、恥ずべきことかもしれないが、日本にとっては誇りに思うべきことなのだろう。
2025年12月03日
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